2021年6月13日 聖霊降臨後第3主日(B年・特定6)

主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いが御心にかないますように  アーメン

梅雨の時期です。雨が降るたびに教会の庭の草木はドンドン伸びて行きます。今年 も梅雨が終わったら伸び過ぎた草木の草刈りと枝切りをしなければいけないと思っています。私は子どもの頃から草木を育てることは得意ではなく、植物の成長に関してはわかりませんので、よく根を枯らしてしまっていました。勉強すれば多少はできるのでしょうが、苦手意識があります。

本日の福音書、マルコによる福音書4章26から34節は、神の国についてのイエス様の譬え話でした。2000年前のイエス様の時代、ほとんどの人は農業に携わっていましたから、植物は身近な存在でした。けれども、現在のような科学的な農業の知識を多くの人が持っていたということはなく、親から子どもへ伝えられた農家の仕事があっただけでした。そんな身近な植物の成長の様子を、イエス様は神の国を人々に伝えるため、譬えとして用いられたのです。

最初の譬え話は、植物の成長の話です。畑に農夫が種を蒔きます。しばらくすると茎、次の穂、そして穂には実ができます。そして、収穫のとき、農夫は鎌で実を収穫しますが、蒔いた種がどうして実を付けたのか悩む必要はないというのです。なぜならば、農夫は成長の仕組みを知らなくても神様は、農夫に豊かな実りを与えられるからということのようです。もしも、そうであるなら神の国が成長しないのはなぜでしょうか?日本のクリスチャン人口は1%にもなりません。教会は高齢化と人数の減少により「このままでは教会は潰れてしまう」と言われます。しかし、イエス様の譬えの通りであれば、教会の信仰者は何もしなくても神様のお恵みでドンドン増えていくことになりますが、実際は違います。

今日の福音書は、神の国について植物の成長についての2つの譬えで教えられていました。つまり、福音宣教、教会の働きについて語られていたのですが、ここでイエス様が教えられているのは、宣教の働きは人間の働きだけではないと言うことであり、決して何もしなくても人は増えますよと言うことではありません。2つの譬え話には語られていませんでしたが、実際の農夫は種を蒔く前に畑を耕しますし、種まきの後もちゃんと成長できるように日々、肥しや水をやり、害虫や天候で枯れないような努力はするのです。イエス様の教えられた重要なポイントは、小さな種を蒔き、育てることはとてもつらく厳しいことであるけれども、神様が共にいて一緒に働いてくださっていること、つまり神様の恵みを信じ、豊かな実りを希望として持つことを教えられているのです。

私たち一人ひとりは小さな存在ですが、神様はこの小さな存在に働きかけてくださり、共にいてくださることで、私たちの信仰は豊かになり、大きく成長することができるのです。私たちはそのような神様への信仰によってどんな困難にも喜ぶことのできる者でありたいと思います。

聖パウロは本日の使徒書、コリントの信徒への手紙2で信仰者の強さの秘訣について教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。」2コリントの信徒への手紙5章7節