サロメ飯塚さんが2011年に執筆された自分史です

くさきの実を探す 菰野日記

立春を過ぎて十日余り、二月半ばの朝五時四十分南西に面した部屋の窓が遮光カーテンを通しても明るい。日の出は六時半の筈なのにあまりの明るさに窓を開く。大きな満月が鈴鹿の峰に落ちようとしている。冷たい空気を胸一杯に吸う。

月の入りを今まで見たことがなかった。神戸に住んで六十五年、最後の十年のマンション生活では東方の海からの大きな月の出に感動して誰かに見せたくて階上の家主に電話すると「どの方角ですか」と聞かれびっくりしたことを思い出した。

三重県菰野(こもの)町に移住して一年が経った。高齢の移住はあれこれと困難も多く落ち着かないままの月日が過ぎた。夏に弱い自分が昨二千十年、希有の猛暑を無事に過ごすことの出来たのは、ここ菰野町の空と水と澄んだ空気、ケアハウスという施設に守られて無事に過ごせたと有り難く思う。

鈴鹿山脈を背にした里山に二面囲まれた丘に建っているハウスの東側の部屋からは街と遠く海が望まれ、南西の私の住まいからは背に連峰の一部とその麓の里山に続き、広々と開いた街になる。日毎の自然の移り変わり天空の星の輝きとその移動、それに伴う他の風景の輝きは筆舌に尽くせない美しさが心を打つ。日毎に目にする自然の営みの絶妙とも言える変化は驚きの連続である。一年が矢のように過ぎてそのスナップが手元に残り、その寸描を記したい。

身辺を見廻す緑の山々、里山はのんびりと一面緑絨毯、山には杉、檜が繁り里には庭を広く持つ家々が花々と共に必ず果実の木が植えられている。真夏の陽は南西に面した部屋いっぱいに入り、エアコンの冷風など役にも立たないので、三度の食事に行く広い食堂の空間が、ホットと息をつく時と場である。中庭も入れて三方緑の中で与えられた時間を過ごす。

大好きな季節、夏と秋の間、この年は暑すぎた余韻が長く続き、涼風が山からおりるころ里山の様子が変わる。山から里への坂にはあまり高くない灌木が多い。面白いことに真夏、この木々はすっぽりと衣をかぶせたような形になる。

窓から見渡すと不思議な光景である。「菰野の木々は皆菰かぶり」と言って笑われたがそれは葛の葉におおわれたからと分かった。

風の強いある夕方、木々の衣の色が白く変わった。「あっ、葛に花が咲いた!」と飛んで近くまで行くとそれは葛の葉が風に裏を見せたのだった。その中に少しずつ薄紫の花が見えた。母の宝物、牧水手書きの扇子の歌を思い出した。母伝授の牧水の朗読を口ずさみながら・・・

峯の風、今日は沢辺に落ちて吹く 広葉がくれの葛の白花

幼い日、覚えたこの歌を記した扇子は戦火で灰になったが、どの地なの今住むハイツ入所の日から優しく迎えてくれた向かいには書家、隣に住む人は詩人と自分で勝手に感じていたが、実は有名な俳人と知った。また隣は幾年か前、NHKの「シルクロードの旅」と題した平山郁夫画伯を中心とした特集に同行された岡田香代子さんと分かってここに導かれた幸せを感謝した。

テラスにある通用扉の隣に朝、小鳥が来ても、夕虫が鳴いても驚く大騒ぎの私を静かに見守っていて下さるきれいな雲、輝く星、発見の都度、扉越しに応答がある。

隣人の岡田さんからは月毎、作品を四十首届けて下さる。幼稚な老人の動きが時々その中に詠まれている。私の拙い随筆に句を頂いてもいいですか、と伺うと優しくうなずいて下さった。最初の登場はニイニイ蝉。

すべて物珍しい隣人の行動がすばらしい句に何げなく登場する。それは私にしか分からない行動の表現なのだから脱帽する。

朝夕、寒さを感じる頃、五階のテラスからよく見えるハイツ前の広場によく来た野猿の子たちが夏中見えないのに気がついた。暑くてどうしているのかと気になりだした。ある日の昼ごろやって来ました。一匹、二匹、三匹・・・、数え切れない群れがボス猿を先頭にゆうゆうと広場に入場してくる。いつの間にか数えるのを止めて中猿に成長したもの、生まれたばかりの子猿が母猿の背に、お尻に、ぶらさがり。

よく頃を知っているもので里山の麓のきれいに耕した畑には秋野菜が丁度よくのび、大根や蕪は食べるのによい大きさに成長している。大きなフェンスの中も種々の野菜が繁っている。丁度畑の番屋に居るおじいさん達は昼食で帰って留守。ボス猿はフェンスの綱を破り中に入って子猿を招く母猿はおいしそうな玉葱、蕪を子猿に運ぶ。安全なハイツ前で待つ子猿はそれを貰って食べている。三人のおじさんが車で急に帰って来る。パパーンと花火の空砲が鳴る。畑と広場はてんや、わんや、フェンスの中の大猿は破った穴から素早く外へ出て行く。残った子猿は高いあぜの野菜の葉に隠れている。おじさんは破れた穴をふさぐ。三匹の子猿が驚いてフェンスをゆさぶり可愛そう。ボス猿は隣家の塀の上からでん、と見ている。助けることも出来ない。おじさん達は子猿のいましめか、助けない。

猿を追う 昼の花火の 余韻かな

五階のテラスから見学していた目に逃げる猿の群れの中に香代子さんがいるのが見えた。散歩に出ていたらしく、手にネコジャラシなど摘んで持ってゆうゆうと歩いている。危ないですよ、と叫びたいが返って危ないか、と声を出さず見ていた。すばしこい中猿たちが山に向かっている職員住宅への坂道を逃げながら三列縦隊、坂の上から同じ間隔で順序よく手を前について止まっている。後方の高階から見ていてその見事な整列に驚いた。

その真ん中を香代子さんが歩いている。本人も猿も動じない。まるで幼稚園の先生のような親しい身振りで猿たちに話かけながら歩いている。後で「あなた、お猿と話しているの」と聞いた。「そうよ、ボスがこの群れの中へおいで、と呼んだもの」とあたり前のお顔、しばらく猿と歩いて帰宅。菰野には「かみつき猿」は一匹もいない。私より半年早くにハイツに入所した中村さんはドラッグストアへ買い物に町に出た。道路工事で車道は通れない。脇道を行く途中の小道の両脇の柿の木に猿の小群れがいた。困ったな、と思ったが戻れない。木の上に向かって「通してね」と言うと「キキー、通れ」と言う。すぐ向かいの木にもいる。前の木の猿が「白百号の住民だから通しなさい」と言うと向かう猿が「了解、通れ」とあいづした。と帰って言う。そんなこと分かる筈がない、と言うと真顔で「ほんとよ」と言う。聞いている私も「それはそうね」となんのこだわりもなく言う。

ちりじりに 猿の一群れ 秋深かむ

彼女の手に珍しい初めて見る木の実の色、小さな踊り子様の姿。ニコニコと手をのべて下さった顔の輝き。心臓の人工弁の期日は過ぎて旅立つ日を数えている人の顔とは思えない。「どなたか高い木の枝を折ったらしく落ちてたのよ」「何の木の実?」「くさぎの実」。

紅葉して 雑木も 山の一処
愁いつつ 野分け雲ゆく 宿場町

中秋名月は九月二十三日なのだが自室からは月の出は見えない。南天から西天も雲が多い。夕方は名古屋セントレア・エアポートに出入りする飛行機の光が美しい。ハウスの夕食には名月のうさぎ菓子、小芋のきぬ衣、名月にはお目にかかれないね、と声がする。遠雷と稲光が雲の中を光る。

翌二十三日午前〇時、真南のテラスに出る。まばゆい程の月が目に飛び込んだ。

名月にお目にかかれたのだ。そこには月の左について動く星を見た。月の光にも消えない「南うお座」の一番星「フォーマルハウト」が月について動き輝いているのだ。あまりの美しさに幸せいっぱいになる。不思議に

亡くなった人々を身近に思い出す。一時間テラスを離れないでいた深夜。美しい天空は早くに、近く亡くなった人々の面影を思い出させてくれる。寂しさが自分の心から消えている。

現生に生れ立ちて 早九十年 大災害に遭い 三度を生きて

うつしよにうまれたちて はやここのとせ おおまがにあい みたびをいきて

1923年(大正11年)9月1日 満1歳になる1カ月23日前、関東大震災に遭い、昭和20年、父の任地徳島市の戦火で親しい人々全所有物を失う。平成7年1月17日、午前5時47分、神戸市兵庫区の真ん中にて阪神淡路大震災に遭遇、飛び上がる。