2020年7月掲載

水が顔を映すように、心は人を映す。
箴言27:19

 コミュニケーションのじつに65%は、仕草や声のトーンなど、ことば以外の要素が占めているとか。その人の話しぶりや表情などで、相手の心もうかがい知ることができます。今月のこの言葉も、心がその人に「映る」と言います。
性格が行動から何となく見えたり、その人の人生観まで垣間見えることもあったりします。外見は、見られていると意識すれば美しくなります。心も見られていると意識すれば、もっと美しくなるかもしれません。2019年8月より毎月投稿してまいりました「みことばの力」は、今回7月掲載で終了となります。毎月ご覧頂き有難うございました。
次月以降、新たな掲載企画を予定しておりますのでどうぞご期待下さい。

2020年6月掲載

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
ローマの信徒への手紙12:15

  身近な人に嬉しいことや悲しいことがあったとき、その気持ちを共有することは、人間関係の基本の一つではないでしょうか。家族や友人、同僚の喜びをねたまず、悲しんでいる人に安易な気休めを言わず、ただ相手の心のかたわらに立って、共に笑い、共に泣く。そういう人からは、風にそよぐ大きな木のような安心感が漂います。あなたの身近にいる大切な人の心に、ただそっと寄り添ってあげませんか。

2020年5月掲載

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。
マタイによる福音書7:13

 行列のできる店ではありませんが、多くの人が「良い」と認めるものは、本当に良いかどうかはともかく、それだけで選ばれる基準になります。しかし、キリストは人がたくさん通る広い門からではなく、狭い門から入りなさいと言います。これは救いの道について語ったもので、狭い門はキリスト自身を表しています。日常生活でも、多数意見に対して、一度立ち止まって冷静に思慮し、真理を見極める為に「狭い門」から入る選択肢も必要な場合がある。と言うメッセージだと思います。

2020年4月掲載

忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる。
箴言14:29

 聖書が書かれた時代、忍耐と自制は、知恵を表す重要な要素でした。しかし、最近は怒りのスイッチが簡単に入る人が増えているようです。でも、何かトラブルが起きるたびにすぐ怒っていると、問題がさらに複雑になってロクなことがありません。「忍耐によって英知は加わる」とあるように、気長に構えて双方が納得のゆく解決を目指すことが肝要かと。

2020年3月掲載

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイの福音書11:28

人は慢性的に疲れてしまうと、どこかが悲鳴を上げます。効率重視の社会になって、働きづめで病気に、それも心の病にかかる人が増えています。特にまじめな方は、“休めない症候群”にご注意ください。休むと仕事がたまって休み明けが大変とか、同僚に迷惑がかかるとか言っているうちに、心身ともに疲れ果ててしまえば、長期欠勤になって、もっと大変なことにもなりかねません。とはいっても、すぐには休めないという方は、心をリラックスさせる時間を日々の生活の中で思い切ってとられては如何でしょうか?

2020年2月掲載

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。箴言17:1

金銭的には恵まれないけど仲の良い家庭と、豊かだけど争いの多い家庭。どちらかを選ばないといけないとしたら、あなたはどうされますか。前者からは清貧ということばが浮かび、後者は現代社会の一旦をイメージされるかも?世界の中では比較的豊かな日本でも、すべての家庭が平和とは言いきれないのが現実では?一方で世界では一切れのパンもやっとの経済難民まで生まれています。「お金はないけれど心は安らか」な生活って、実はとっても贅沢なのかもしれません。

2020年1月掲載

与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられます。 ルカの福音書6:38

生きていくうえで、どうしても必要なものってどのくらいあるのでしょう。昔から言われている格言に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とか「肉を切らせて骨を切る」というものがあります。キリストが語られたこのことばも同じで、自分の手に握りしめているものを手放すことは、人を輝かせる大切な要素の一つであるとともに、「あの人のために」という素朴な愛に基づいて行動することは、結果的に自らの人生に豊かな実を結ぶことになるのだと思います。

2019年12月掲載

あすのことまで思い悩むな。あすのことはあす自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。マタイの福音書6:34

もうすぐ緊張する試験や商談があるというとき、プレッシャーで心が重くなることでしょう。聖書は、未来のことを人は完全にコントロールできないのだから、今やるべきことを精一杯行えばよいと言います。そこには、神を信じる者は必ず必要が満たされるという信頼があります。心配がつのると、本番で本来の実力を発揮できなくなります。今日すべきことは何かを考え、それを果たせば大丈夫だという割り切りが、良い結果を手にするために大切です。

2019年11月掲載

神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることは
なさいません。

コリントの信徒への手紙•第Ⅰ 10-13

悪いことが起きると[神なんていない!]と言いたくなります。お気持ちはお察しします。でも、神は試練もコントロールして[耐えられないほどの試練には会わせない]というセーフティネットまで用意してくださっていると聖書には書かれています。だったら最初から試練なんて与えないでほしい、というご意見もおありでしょう。その真意は神のみぞ知ることですが、脱出の道が約束された試練なら、本格的な避難訓練のように、その人の成長に役立つこともありそうです。幾多の困難を乗り越えた人の多くが備えている人格は、試練が決して無駄ではないことを物語っています。

2019年10月掲載

求めなさい。そうすれば、与えられる。
捜しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

マタイの福音書7:7

目標を決めて何かを手に入れようと決めたとき、多少の障害にもあきらめないことが大切です。先のことばは、神に祈り求めるときの態度を語ったもの。求め、そして与えられなかったら捜しに行く。それでも手に入らなかったら、相手の玄関まで行って扉をたたく。そこには、神は必ず応えてくれるという信頼があります。クールな態度が良しとされる現代で、がむしゃらに行動することは、ちょっと敬遠されそうですが、自分が信じたものに向かって、他人がどう思おうと貫き進む姿勢もまた、内なる自分を磨くことになるでしょう。

2019年9月掲載

夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。  
詩編30:6

何か失敗したときや、とても悲しいことがあったとき、寝床に入っても眠れないことがあります。もう二度と立ち上がれないんじゃないかと思い、暗い深みにはまって時間だけは過ぎていく。そんなとき、立ち帰ることのできる場所を持っていると、回復の道が開かれます。これは、悲しみに打ちひしがれた人が、神に心を向け悲しさを聞いてもらうことで、夜明けには再び希望をもつことができるという詩です。 つらいときに帰る確かな場所はどこですか。

2019年8月掲載

自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
マタイの福音書7:12

「目から鱗」など聖書には、ことわざとして広く知られていることばが数多くあります。これもその一つで、特に黄金律とも呼ばれています。相手の立場に立って話したり、行動する人は光ります。心理学の研究で「ミラーリング」という作用が報告されていて、会話をしている相手の表情やことばをさりげなく真似ると、相手はリラックスして会話も弾むといいます。また、自分が笑顔なら相手も笑顔になるし、家族のことを話せば、ひょっとすると相手も幸せな気分になれるかもしれません。

出展 聖書の品格
掲載についてはフォレストブックス編集部より許可を頂いています。