2021年6月20日聖霊降臨後第4主日(B年・特定7)

主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いが御心にかないますように  アーメン

4月25日に出された緊急事態宣言は、5月末までに延長され、その後、6月20日まで再延長されました。その間、変異したコロナウイルスは容赦なく、日本だけでなく世界中に急速にまん延していきました。毎日、千人以上の感染者数を見るたびに、いつ抜け出すことができるかわからない長く暗いトンネルを歩き続けなければならない苦しさを多くの人は感じられたと思います。私は牧師ですから説教で皆さんに、神様への信仰を希望として語りますし、自分自身もそのように信じたいと願っています。けれども、先行きの見えないコロナ禍にあって不安と恐怖はいつもついて回ります。自分の未熟さに気づかされています。

本日の福音書は、イエス様と一緒に弟子たちがガリラヤ湖を船で横断しようされたときの話です。突然、強い風が吹き、大きな波は弟子たちが乗っている小船に襲い掛かってきました。嵐の中でなすすべもなく、木の葉のように波間に見え隠れする船、弟子たちの中には湖の天候をよく知る漁師もいましたが、自然の力には太刀打ちができず、きっと死を覚悟した弟子たちもいたことでしょう。そんな嵐の中、悠々と枕を高くして眠っておられたイエス様に弟子たちは怒りを感じたのではないでしょうか。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と強い口調でイエス様に訴えました。弟子たちも死にたくないので必死です。こうなったら神さま頼みです。イエス様はすっと立ち上がられると雨雲と湖に向かって「黙れ、沈まれ」とお叱りになられました。すると、不思議にも風も浪も止んだのです。確かにこれは奇跡です。二千年以上前にあった昔の奇跡物語です。

はるか昔、嵐を静めたイエス様の奇跡物語は、現代を生きる私たちに一体何を語っているのでしょうか?それは今も変わらない神様との関係です。神様を信じるとは一体どういうことでしょうか?神様は私たちにお恵み、良いものばかりをくださり、悪いものからは守ってくださる方でしょうか。それならば、世界中の人々はなぜ、コロナに苦しむのでしょう。もちろん、神様は意地悪で災いを降す方ではありません。時に災いは避けられないことがあります。むしろ、「人生は前途多難である」と歴史上の偉大な人物は語っています。神様を信じるということは、神様との強い絆で結ばれていることなのです。確かにこの1年半近く続いているコロナは嵐の中の小舟にいるように私たちを揺さぶり、命の危険に至らせ、心を不安にさせていますが、そんな苦しい時にも、目には見えない神様はいつも私と一緒にいてくださることが信仰なのです。信仰を持つと強くなるのではありません。今と変わらず弱い私の側に強い神様がいてくださるのです。だから、強い神様を信頼し、すべてを託して祈りましょう。そして、どんな時にも神様への信仰によって希望と言う喜びを持つことができる者でありたいと思います。

聖パウロは、本日の使徒書で、信仰によって神様と結びついた人は、今までとは違う、神様と共に歩む新しい生き方をする人であることを教えています。最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」2コリントの信徒への手紙5章17節