2021年2月14日 大斎節前主日

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように アーメン

兵庫県の井戸知事は8日の会見で、緊急事態宣言の解除要請について「もう少し様子を見る必要がある。判断するような段階ではない」と述べ、政府に解除を求める場合は、大阪府、京都府と足並みをそろえる考えもあらためて示しました。

緊急事態宣言が延長されたことは、理解を得られたようですが、今度は解除の時期について不安を持つ人と経済活動の再開を望む人との温度差はかなり大きいのではないでしょうか。どちらにしても出口が見えないコロナ禍の中で晴れない気持ちで苦しむ人々は少なくありません。ゴールの見えない努力、終わりのない戦いは、気付かないうちに心を消耗させてしまうことがあります。

本日の福音書は、イエス様が山の上で光り輝く姿になられた物語でした。モーセがそうであったように「山」は神様と出会う神聖な場所として聖書には記されてあります。その聖なる場所で、律法を象徴するモーセと預言者を代表するエリヤにイエス様が出会うということは、イエス様ご自身が、まさに聖書に記されている「律法と預言者」によって証明されていることを意味しています。さらに、その後、雲の中から神様の声が聞こえてきたことはそれを裏付けています。ちなみに「これは私の愛する子、これに聞け」と言う神様の声は、イエス様が洗礼を受けられた時に天から聞こえた「あなたは私の愛する子」と言う神様の言葉と同じ意味です。そんな聖書に記されてある律法と預言の完成者であり、神様に愛されているみ子であるイエス様を目の当たりにした3人の弟子たちは当然、驚きます。イエス様は、弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて山に登られましたが、それは、これから起ころうとする出来事の証人するためであったのです。一番弟子のペトロはイエス様が光り輝く姿を見て「仮小屋」を建てることを申し出ますが、「仮小屋」とは、この歴史的な出来事を記念するための「記念礼拝堂」でした。けれども、イエス様は、この素晴らしい出来事をイエス様の復活まで誰にも話してはならないと命じられます。それは誰もこの出来事を理解することができないと言うよりも、人々のイエス様に対する地上の王様になってほしいとの願望がより膨らんでくることを警戒されたからです。けれども、イエス様は、弟子の3人には神様の栄光に輝く、復活の命に生きるイエス様の姿をあえて示されました。それはこれから弟子たちが受ける苦難の後にある神様に祝福された栄光ある姿、神様の命に生きることの素晴らしさを教えるためでした。

これから私たちはイエス様のご復活を喜ぶイースターの準備として大斎節を迎えます。大斎節は、イエス様のご復活によって神様の命に生きる希望を私たちが持つことを深く知るための準備の期間なのです。私たちは神様への信仰によってこの世の困難の中でも永遠の喜びを生きる者でありたいと思います。

最後に、本日の使徒書は、どんなときにも神の言葉を支えとするように教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」2ペテロの手紙1:19