2021年4月25日 復活節第4主日(B年)

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように アーメン

23日金曜日、政府は東京・大阪と共に兵庫県にも3度目の緊急事態宣言を発令しました。コロナウイルス変異株の感染者が急激に増加したことを受けて、各自治体から要請されてのことですが、首長の判断が重要なカギとなっています。

本日の福音書は、ヨハネによる福音書第10章11節から16節まででしたが、イエス様が「私は良い羊飼いである」と言われた言葉から始まっています。

初対面の方らか「神父さんですか?牧師さんですか?」と呼び方について聞かれることがあります。この言葉の説明について、東京教区のHPから引用させていただきます。『教会では教会の聖職者や教職者を呼ぶ時、教会を一つの家族のようにとらえて、父親的存在といった意味で「Father(神父、師父)」と呼び表す教会や、教会を一つの群れとみなして、群れの指導者といった意味で「Pastor(牧師)」と呼ぶ習慣の教会などがあります。また、聖公会を含む日本のプロテスタント教会では「先生」、ローマ・カトリック、正教会では「神父」などの敬称を使う場合も多いようです。ちなみに、司祭とは、キリスト教における職位(位階)の一つです。他の職位として主教、執事があります。』

教会内の信徒や関係者の人々を一つの群れとみなし、羊の世話をする羊飼いに例えて、その信仰を養い育てる働きを持つ者を「牧師」と呼びます。この羊と羊飼いの関係は聖書に由来しています。旧約聖書では、神様を羊飼いに、神の民イスラエルの人々を羊に例えており、羊の世話をする羊飼いの働きが、王様の使命だと記されています。さらに、イスラエル王国を繁栄させたダビデ王の少年時代の職業は羊飼いであり、羊の世話を良くして敵である野獣から羊を守った理想の王様として描かれています。そして、イエス様はそのような関係の中で、ご自身を「良き羊飼い」だと言われており、その理由は、羊のために命を捨てた羊飼いだったからです。それはイエス様が羊を守り、羊の命を生かすための死なれたからに他なりません。それがイエス様の十字架の死と復活の命なのです。イエス様は、神様と断絶している「人類の罪」の状態から私たちを救うために死なれ、私たちが神様と共にある新しい命に生きるためによみがえってくださったのです。

羊と羊飼いの関係は、リーダーと呼ばれる人たちだけでなく、家庭や職場など人が集まり、養われているところではどこでも存在しています。そして、羊を生かすために愛し抜かれたイエス様に学ぶことなしに「良い羊飼い」の働きはできないのです。さらに、誰もがイエス様と言う真の良い羊飼いに導かれ、従う羊でもあるのです。つまり、イエス様に養われてこそ、確かに歩み出すことができるのです。私たちはどれ程さまよっていても、良き羊飼いに導かれていることを喜ぶ者でありたいと思います。

最後に、本日の使徒書には、かつては恐怖の中にあって迷える子羊であった弟子たちが復活されたイエス様と出会い、復活の証人として強められたことが記されていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。」使徒言行録4章33節