2021年2月28日 大斎節第2主日

主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いが御心にかないますように

2月26日、菅総理は緊急事態宣言について、兵庫県を含む6府県を2月末までで解除すると表明しました。これに従いまして、神戸昇天教会は来週の日曜日、3月7日から礼拝を再開させていただきます。

さて、良かれと思って行ったことが、裏目に出てしまうことがあります。新聞報道によりますと、自民党内では東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森 前会長による女性蔑視発言を受け、党内議員連盟「女性議員飛躍の会」が各種会議への女性起用増を求める緊急提言を二階氏に提出し、二階氏はすぐさま16日の党役員連絡会で、総務会など幹部会合に女性議員を数人加えるよう指示しました。しかし、追加出席する女性議員には議決権や発言権を与えない陪席出席にする党執行部の方針が伝わると、女性議員や海外メディアから「見学止まりか」などと反発を招く事態になったそうです。

本日の福音書では、イエス様が弟子たちの前で、ご自分がこれから排斥され、殺されると告げられると一番弟子のペトロがイエス様をいさめたため、反対にイエス様からお叱りを受けた物語でした。私たちはイエス様が十字架上で苦しみ、死ななければならないと言うことが、神様のご計画であることを知っていますが、ペトロにしてみれば、それはあってはならないことでした。なぜならば、ペトロを始め弟子たちは、自分たちの家族や生活のすべてを捨てて、イスラエルの王となられるイエス様に従って来ました。ですから、ここでイエス様が殺されると言うことは、彼らにとって輝かしい将来を失い、希望を失うことであったのです。さらにイエス様を失うことは、自分たちばかりではなく、ローマ帝国に冷遇されているユダヤ人たちの悲願をも断ち切ることとなります。ですから、ペトロの苦言はもっともでありました。けれども、イエス様の目的、また神様の救いの計画は、そのような人間の願う大きさではなかったのです。

イエス様は、すべての人類を神様の下に招くために、まず孤独のうちに死に、そして、よみがえられました。この救いの計画のためにイエス様はクリスマスの夜、お生まれになり、人々の救いのために受難と復活を示してくださったのです。これは神様の命である永遠の命が信仰によって与えられていることを目的としていますが、ペテロはこの世の地位や富、自分たちの生活の安定にしか思いが至りませんでした。しかし、イエス様は自分たちの生活を受け止め、痛みや苦しみを避けるのではなく、自らの十字架として背負うことを求められました。誰でも困難は避けて通りたいものです。もしかすると、自分だけではなく、家族や周囲の人々の災いを引き受けなければならないこともあるかもしれません。それほど強くないにもかかわらず、イエス様はそれでも十字架として背負わなければならないのでしょうか。イエス様は言われます「わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」

神様に向かって生きるとき、神様が共に生きてくださいます。十字架を背負って生きる私を支え、励まし、突き動かしてくださるのです。私たちは苦難にある時も、信仰によって希望を持ち、喜ぶことができる者でありたいと思います。

聖パウロは本日の使徒書で、神様と共に生きることの強さを教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」ローマの信徒への手紙8章31節