2021年1月31日 顕現後第4主日

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように アーメン

今月13日から発令されております緊急事態宣言を受け、解除されるまでの間、神戸昇天教会では、毎週日曜日の礼拝を自粛し、牧師は礼拝堂で祈り、信徒・関係者の皆様にはご自宅で祈りを捧げて頂きますようにお願いいたしております。神戸教区のホームページには、主日説教の動画もありますので、ご活用ください。ちなみに本日は、神戸聖ミカエル教会副牧師の河村司祭です。

今週2月2日は、教会の暦では幼子イエス様が神殿に捧げられた被献日ですが、世の中は節分です。節分の日には、豆まきをする習慣がありますが、これは中国の習慣が伝わったものだそうです。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという逸話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。今年は特に、コロナ禍で苦しんでいる人が多いので、「疫病退散」との願いをこめて多くの人が豆をまくことでしょう。

本日の福音書、マルコによる福音書1章には、イエス様が「汚れた霊」にとりつかれた人を救われた話が書かれてありました。紀元1世紀当時の人たちには、今の私たちのような医学はありませんでした。1676年にオランダの科学者レーウェンフックが、病気の原因になる細菌を発見するまで、病気は未知の存在である悪魔や悪霊の仕業だと思われていました。従って「汚れた霊」とは、人の身体に巣くっていた病原菌で、イエス様はこの細菌に向かって「この人から出ていけ!」と叱られたことになります。もちろん、イエス様の一喝が、特効薬と同じ効果を持ち、たちどころに細菌が死滅したというのですから、これこそ奇跡には違いありません。けれども、重要なところはイエス様の奇跡そのものと言うよりは、その様子を見ていた人々の反応にあります。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」

人々はイエス様の治癒奇跡を見て「新しい教えだ」と理解したのです。普通でしたら「新しい預言者だ」「救い主だ」と言う反応なのでしょうが、イエス様の教え、つまり「神の国」の教えの一部として奇跡を見ていたということになります。これはイエス様の時代の民衆の言葉と言うよりは、後の時代、初期のキリスト教会の人々がイエス様に対して抱いていたイメージが、民衆の言葉として表現されていると思われます。その理由は、イエス様は病者への治癒奇跡を単なる癒しの奇跡として行われたのではなく、神様の力を治癒奇跡によって示し、神の国とは、どんなところなのかを人々に語られたからに他なりません。従って、汚れた霊を追い出すことのできる神様の力が、イエス様を通して教えられたのです。

イエス様であれば、コロナを退散させることも可能かもしれませんが、私たちには祈ることが許されています。私たちは信仰によって何ものよりも勝る神様が共にいてくださることを喜ぶ者でありたいと思います。

最後に聖パウロは、本日の使徒書の中で、私たちが神様に属する者であることを教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。」