2021年1月17日 顕現後第2主日(B年)

先週13日に兵庫県も緊急事態宣言の対象地域となりました。私たちの教会も解除されるまで礼拝を自粛させていただきます。今後も感染者が増加し続けるならば全国的に発令されます。不要不急を避けることが求められていますが、その一方で交わりが断たれて孤立し、孤独感に陥る人々が増えていくのではないかと心配するところです。

本日は、阪神淡路大震災から26年目を迎えます。当時、わたしは北関東教区に出向中で、1年後に神戸に帰ってきましたが、復興は道半ば、人々の心は癒されておらず、それでも希望を持ち、前に進もうとしている人々がおられました。そのような復興の中で、人と人との「絆」がいかに大切であったのかと言うことを思い出します。それは地域を問わず、あらゆる災害復興時に多くの人が感じていることなのです。

1995年2月1日の神戸新聞に掲載されていた「生きる」シリーズに「心にしみたスープの味」と言う記事があります。長田区にある西神戸朝鮮初中級学校には在日朝鮮人100人が避難していましたが、ある日、そこに一人の日本人男性が屋台を引っ張って来て、温かいラーメンをふるまいました。関東大震災では多くの朝鮮人がデマによって自警団に虐殺されていたため、日本人を恐れていましたから、この暖かい心に感動したそうです。後に、ラーメン屋のご主人は言われました。「みんなも困っているし、自分ができることはラーメンを作ることだけや。わしらみんなこの町に住んでる。これからもな。エエ加減なことはできひん」

本日の福音書には、イエス様とナタナエルの出会いの物語が書かれてありました。この出会いによってナタナエルはイエス様の弟子となるのですが、その大きなきっかけとなったのはイエス様の一言でした。「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」

いちじくはイスラエルを象徴する木で、木の下では師が弟子に律法を教える習慣がありましたが、ナタナエルはいちじくの木の下にたった一人でいたと言うことは、学びたい師となる人物がいないことを意味しています。そこにイエス様が来られ、弟子となり、神様について学ぶように声をかけられたのです。ナタナエルは孤独で、たった一人で苦しんでいた彼のところにイエス様は来られ、共に歩むことを求められたのです。

イエス様がナタナエルに寄り添われたように、いつも私たちと共に歩んでくださいます。苦しい時、孤独な時はそれを感じられなくなりますが、それでも確かに一緒にいてくださるのです。それは「信仰の絆」です。さらに、この信仰の絆は、神様を信じる者一人ひとりを結びあわせていますので、信仰のある限り、絆は絶たれることはないでのす。いろいろな制限だらけの日々の中ですが、ウイルスよりも、この世の何ものよりも強い神様との信仰によって、どんな時にも希望と喜びを持つことのできる者でありたいと思います。

聖パウロは、本日の使徒書で、神様の霊によって結びつく「信仰の絆」について教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。」