2020年5月10日 復活節第5主日(A年)神戸昇天教会

主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いが御心にかないますように

先週4日午後、新型コロナウイルスへの対応を協議する政府対策本部が開かれ、緊急事態宣言の対象地域を全都道府県としたまま、5月31日まで延長することが正式決定しました。長引く自粛の中で、出口が見えず日本中の人々が不安と恐怖を感じています。そのような心理的な状態は、人を誤った行動に駆り立ててしまうことがあります。いわゆる、差別やいじめと言った行動です。ウイルス感染者やその家族、また医療従事者にまで、心無い人々の言動が彼らを傷つけています。最近では、他県のナンバーの車にあおり運転をしたり、車体を破損させたりしている地元の人々がいると報道されていました。

このような歪んだ正義感は、災害時に起こりやすい行為だと言われています。2011年に福島県の東京電力第1発電所の事故でも、東北や福島県の人は原発差別、放射能いじめに遭っており、同様のことが、ウイルス感染症の被害が出ている世界各地で頻発しています。

人は未知なるものに対して恐怖を感じます。それが命を奪う危険なものであれば警戒は高くなりますが、同時にそれは強いストレスになります。ですから、普段はそのような危険な物事は避けて通っています。しかし、それがいざ、目の前にあり、避けられないことになると多くの人は取り乱し、パニックになってしまうものです。それは世界中で昔も今も変わらない人間の特徴なのかもしれません。

本日の福音書は、ヨハネによる福音書14章で、最後の晩餐の席でイエス様が、自らの死と弟子たちの裏切りを告げた後、動揺している弟子たちに向けて語られた言葉でした。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」

葬儀の時に読まれる福音書ですので、覚えておられる方も多いと思います。イエス様は動揺している弟子たちが安心するように、今から自分が死後、どこへ行くのか、また何をしに行くのかを教えられていました。イエス様に従うすべての人を天国で迎える準備をするために、神様のもとに行くと言われています。つまり、この世の命が尽きても、未知の死の世界ではなく、神の国に行くことができると教えてくださったのです。

2017年、106歳で亡くなられた日野原重明先生は、牧師の息子として生まれ、聖公会の関係施設である聖路加国際病院で長く勤務されて、名誉院長、また上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長などを歴任され、講演会や著書を通して多くの人により良い生き方を提唱されて来られました。その日野原先生は「死が何であるかを子どもに伝えるのは、大人の役目である」と語られておられました。

「子どもに死にゆくおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの姿をありのまま見せ、ショックを与えることを恐れてはならない。子どもの目を覆い、耳をふさぐのではなく、幼いなりに眼前の死を理解しよう苦悩する過程を、大人はそっと見守るべきだと思う。死は何であるかを伝えるのが大人の役目である」

また、小さい子どもがいる家庭ならペットを飼うことを勧めておられます。それは命あるものに愛情を注ぎ、共に生きて行く喜びが実感でき、同時に失った際、生きているものには必ず死が訪れることを学び、その後、優しい思い出と共に、心の中に生き続けることができるからだそうです。命の大切さは死を通して学ぶことができるということのようです。

日本の文化では、死を忌み嫌い、「縁起が悪い」と死を避けてきました。近年、病名を公表し、闘病生活を伝える著名人が増えてきましたし、医師が患者に病名の告知をすることも当たり前になっています。しかし、病をすべての人が受け入れられるわけではありません。しかし、そのとき人は死を意識し、未知なる死に恐怖を感じます。もちろん、クリスチャンは死の恐怖を感じないわけではありません。けれども、信仰者にはイエス・キリストのみ言葉は救いとなりえます。なぜならば、この世の命は尽きても命は神のみもとに行けるという約束の言葉が語られているからに他なりません。確かに人は死に至るウイルスや未知なる生物を恐れます。しかし、例えそうであったとして、神様は私たちをしっかりと支えてくださっているのです。復活されたイエス様によって人の死は未知なる恐怖ではなく、神の国への入り口となったのです。今、世界中で恐怖と困難な状況がありますが、私たちは神様への信仰によって支えられ、強められている者としていつも喜ぶ者でありたいと思います。

聖パウロは使徒言行録で、復活されたイエス様が聖書に預言された方であり、救い主であると教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。