2020年5月3日 復活節第4主日(A年)神戸昇天教会

主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いが御心にかないますように

3月8日に主日礼拝を皆さんとご一緒にお祝いしてから56日、8週間が過ぎました。専門家の意見によりますと、感染症の拡大は、不要不急の外出を控える自粛の努力により鈍くなってきているそうです。今まで急激な増加をしていた感染者数と死亡者数は共に鈍化しており、感染拡大が収束に向かうかもしれないという期待が持てると言われていました。もちろん、これは多くの人が「ステイホーム」外出を控え、感染防止のために努力した結果です。しかし、専門家はこの成果で満足して再び、多くの人が外出すると再び感染が拡大し、今までの努力も無駄になってしまうと警戒を緩めないように注意を促しています。

このような長期にわたり礼拝が制限されるという事態は今までに経験したことがありませんので、牧師としてどのように対応することができるのか、日々悩んでいます。信徒訪問もできませんから、信徒の皆さんの安否確認は電話やメールしかありませんし、教会や教区からのお知らせ、月報や神のおとずれなどの機関紙を郵送する程度です。教会のホームページには、毎週の説教を掲載させていただいていますが、インターネットを使用して、どれくらいの信徒の方が読んでくださっているかもわかりません。それでも皆さんを覚えて、毎日の朝夕の祈り、主日の10時30分の礼拝はつとめさせていただいていますが、牧師としての働きができない自らの無力さ、無能さに打ち砕かれています。

本日の福音書は、イエス様が語られた「羊飼い」についての教えでした。羊飼いではない羊泥棒や強盗は、こっそり人に知られずにやって来るので、羊の囲いにある門を通らずに忍び込んで来ると言われています。確かに、悪事を働く者は人に見つからないように隠れて侵入してきます。正々堂々と羊の門から入って来るのは、羊飼いや飼い主と言った関係者だけです。もちろん、毎日接する羊飼いの声を羊は聞き分けますし、聞いたことのない人の声に羊はついて行きません。なぜならば、羊などの動物は、犬や猫と同じように、誰がエサを与えてくれるかを知っており、エサを与えてくれる人について行くからです。ですから、当然ですが、羊飼いではない人が来ると命の危険を感じて叫んだり、逃げ回ったりするのです。そして、最後にイエス様はこの羊の習性の話をファリサイ派の人々にされました。つまり、宗教的指導者であるファリサイ派は、ユダヤ教徒の羊飼いでなければならないのに、その務めが果たされていないということを暗に教えられましたが、彼らにはわかりませんでした。

今月、私たちの神戸昇天教会は教会創立130年を迎えます。この記念すべきときに共にお祝いできないことを本当につらく、心苦しく思っています。神戸昇天教会の130年という歴史は、単なる時間ではなく、そこには信仰の先達たちの汗と涙と努力、祈りと感謝が蓄積された時間であるということです。つまりは、今、私たちが立っている教会はそのような人々によって築かれてきたということなのです。そして、その中には12人の牧師がいました。その一人ひとりが個性的な牧会をされておられましたが、神戸昇天教会100年史「主とともに」に岡田昭三兄が側垣司祭の牧会的配慮について記されておられます。

「独身の頃の私は、主日礼拝にも余り出ないで遊び廻っていましたが、人生の疑問や信仰について悩む時もあり、或る日の真夜中に教会の礼拝堂に忍び込みました(当時、礼拝堂の門はいつも開いていました)。うす暗い説教台の前にひざまずいて夢中で祈っていて、ふと気がつくと入口の方からボンヤリ明かりがさしており、振り返ると側垣先生がローソクの燭台を手に入口に立っておられました。私が礼拝堂を出て教会の門から少し歩いて後を振り向くと、先生らしき人影が門柱の側で私を見送っておられました。」

そのとき、岡田兄は礼拝堂で祈っても、悩みや苦しみはすぐには解決されなかったかもしれませんが、黙って見送られた側垣司祭の姿に、神様の暖かな励ましを感じられ、勇気づけられて、その後の信仰生活を歩まれたのではないでしょうか。

私は牧師ですが、私もまた信仰者として日々、真の羊飼いであるイエス様に導かれて歩んでいます。残念なことですが、教会を去る方々の多くは人につまずいておられます。それは決して良いことではないのですが、本当の羊飼いであるイエス様により頼んでいくことでこの世の苦難や問題を乗り越え、あるいは耐え忍んでいくことができるのです。この世の何ものでもなく、真の牧者であるイエス・キリストに聴き従うことが、信仰の喜びに至る大きな秘訣なのです。私たちはそのような神様への信仰によっていつも喜ぶ者でありたいと思います。

最後に本日の旧約聖書で、預言者ネヘミヤは、万物の造り主である神は、私たちに真の命を与えられる方であると教えていますので、最後にそのみ言葉に心を傾けたいと思います。

「あなたのみが主。天とその高き極みを/そのすべての軍勢を/地とその上にあるすべてのものを/海とその中にあるすべてのものを/あなたは創造された。あなたは万物に命をお与えになる方。」