2021年5月

神である主は、人に命じられた。「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる。」創世記2章16・17節

 アダムとエバの失楽園の物語は、神様が「善悪の知識の木」の実を食べてはいけないと人と約束したことから始まります。そもそも神様が「善悪の知識の木」をそこに植えなければ良かったのだし、そんな約束をしければアダムもエバも楽しく楽園で過ごすことができたはずです。神様は意地悪なのでしょうか?

 どこの世界にもやってはならないタブー、禁止事項はあります。人として社会の中で生活していく上で、やってはいけないこと。例えば、他人を傷つけてはいけないとか、人の物をとってはいけないと言ったことです。人間社会で安心して仲良くやっていくためには、お互いが信頼する必要があり、そのためには犯してはならない社会的なルールが必要になります。そうでなければ、強者が支配し、多くの人が奴隷となる恐ろしい世界になってしまいます。

 アダムもエバは神様のようになりたいと「善悪の知識の木」を食べたのですが、それによって自分は神様との約束を破ってしまった罪を知ってしまいます。欲望に駆られて人としてやってはいけないことが、自らの居場所をも奪う結果となってしまったのです。

 けれども、神様は楽園にいられなくなったアダムとエバに皮の服を着せられました。約束を破った者でさえも大切に思っている神様の優しさを感じます。間違いを犯したアダムとエバのことを神様は一番残念に思っておられ、それは今も変わらず、神様は私たちを慈しんでおられます。

2021年4月

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。  創世記2章7節

ある人が人間の体の値段を計算しました。肉体からは脂肪が石鹸7個分、炭素が鉛筆の芯9,000本分、鉄分は2寸釘(約65mm)1本分、リンがマッチの頭2,200個分が取れるので、それらを換金すると5,000円ぐらいになるそうです。想像していた以上に安いです。まさにホームセンターで売っている家庭菜園用の土程度です。けれども、不思議なもので、この5000円程度の肉体を駆使するプロのスポーツ選手たちは数億から数百億円も稼ぐわけですからコスパ(費用対効果)は最高なのかもしれません。つまり、神様は安い材料で形作っても、命を吹き込むことで何百・何千倍もの価値を生み出す人間を作り出したのです。自分の元手は5000円だと思えば、アルバイト1日で元は取り返せますから、それ以降は丸儲け、人生はトクだらけです。神様は私たち人類に尊い命を与えてくださったのです。

2021年3月

「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。」創世記2章2節

 私たちが過ごす7日間を1週間とし、そのうち1日を休日とする習慣は、聖書に由来し、明治政府が日本に取り入れました。江戸時代まで「盆暮れ正月」と言われていた庶民の労働は、この周期的な休みをとることにより生産性を高めました。一定の休息のサイクルが、体調を整え、心をリフレッシュし、労働意欲を増していったからです。

 このように私たち人間には、毎日のリズムが重要で、不安定な生活リズムは体を壊す原因ともなりかねません。特に精神的なつらさは時間的な休息では解消されず、気持ちを切り変えたり、オンとオフにしたりしてリセットすることが有効です。それでもうまくいかない場合は、根本的な問題、悩みの種が消滅していないので、リセットしても再び支障が出てしまいます。しかし、やすやすとトラブルの原因は消えてなくなってはくれません。そんな時は自分を支えてくれる存在が必要です。誰かから自分が受け入れられ、愛されていることで、何かを失敗しても、拒否されても、そんな自分を愛してくれるものが一つでもあるならば、人は日々を耐えていくことができるのです。そして、耐え抜いたその先には、必ず今とは違う喜びを見出すことができるのです。

 しかし、もしかすると、周囲の人々の中に自分を受け止めてくれる人を見出すことができないかもしれません。でも、大丈夫です。目を閉じて、心を落ち着かせ、神様に心を向けてみましょう。神様はあなたの側におられます。そして、「大丈夫、ここで安心して休みなさい」と言われておられます。心を静かにして神様の声に耳を傾けてみましょう。

2021年2月

神は、造ったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。  創世記1章31節

 1967年から連載された赤塚不二夫さんの漫画「天才バカボン」に登場するバカボンのパパの口癖は、「これでいいのだ」です。最初にこの言葉をバカボンのパパはこう言いました。『わしは、バカボンのパパなのだ。この世はむずかしいのだ。わしの思うようにはならないのだ。でも、わしは大丈夫なのだ。わしはいつでもわしなので大丈夫なのだ。これでいいのだと言っているから、大丈夫なのだ。あなたも、あなたで、それでいいのだ。それでいいのだ。それでいいのだ」

 「これでいいのだ」とは、なんだか無理に納得したり、妥協したりしているようにも聞こえますが、実はそうではなく、現実を現実として受け止め、そこから自分は何ができるのかと言うチャレンジに向かう前向き、ポジティブな言葉のようです。今を認めることが前進するためには必要不可欠なのです。

 コロナ禍にあって否定したくなるような現実が続いています。2019年までの生活には戻れないとはわかっていても以前の生活を求めてしまっている自分がいます。10年後、20年後のことはわかりませんが、コロナを乗り越えるためには、希望を持って前を向くことが必要なのです。そのために私たちは今と言うときの上にしっかりと立ち、神様が与えてくださっている「良いもの」に目をむけなければなりません。災いを幸福に変えることは、人類に与えられた神様からの素晴らしい賜物なのですから。

2021年1月

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。     創世記1章3節

 新年、明けましておめでとうございます。新しい年を迎えると、気持ちをリセットできる気がします。去年のコロナ禍でつらい思いをされた方、いやな出来事があった方が多くおられました。コロナの悪影響は、様々な形で、様々な場所に現れてわたしたちを苦しめました。もちろん、今年も状況は、そんなに好転はしていないかもしれませんが、それでも今年は何か良いことが起こってほしいと神様に願いを祈らずにはいられません。なぜならば、神様は暗闇を光によって打ち破った方であるからです。この世の始まりは「無」でした。何もありません。そんな中、神様はこの世を創り出すためにまず、光を作られました。神様がこの世界を作られるイメージは、粘土遊びのように何かをこねて形作るようなことを想像していましたが、そうではないようです。神様はただ一言「光あれ!」と言われると光が生まれ、明るく輝いたのです。そして、私たちの心の中の闇にも同じことが起こります。真っ暗闇の中で動けず、うずくまっている時に神様の声が響き、どこからか光が射し込んできます。そして、立ち上がり、進むべき道が明らかにされるのです。天地創造と同じように、わたしの心の中が新しく作られるのです。新年はそんな「自分の再創造」を期待したいのです。

2020年12月

「主よ、あなたはわたしのともしび。             わたしの闇を照らす方」詩編18編28節

 12月と言えば「クリスマス」です。聖書にはキリストの誕生日については何も書かれていません。私たちは西洋の教会が伝えてくれた12月25日をキリスト降誕祭、クリスマスとしてお祝いしますが、ロシアなどの教会では1月6日にクリスマスをお祝いしています。これには歴史的に大人の事情があるのですが、12月25日がクリスマスに決まった背景には「冬至」がありました。冬至は一年で最も夜が長く、冬至を過ぎれば、昼間が次第に長くなっていきます。ここからこの世の暗闇の中に救い主イエス・キリストと言う光が生まれ、それが次第に大きくなって行くことを象徴するためにクリスマスは、冬至の日に定められました。                              キリストの誕生日がクリスマスだと知らない人でも、クリスマスには少しでも温かい気持ちになり、大切な誰かを暖めてあげることができれば、それはもう本当のクリスマスを過ごしていることになります。クリスマスは、その日1日だけでも、世界中の人々が争いを止め、大切な誰かに光りを向けてあげられるために2000年以上前から存在しています。あなたにとって今年のクリスマスが、小さな光となりますようにお祈りしています。 Merry Christmas!

2020年11月

「神よ、あなたに叫ぶ わたしにこたえ 耳を傾けて願いを聞いてください」 詩編17編6節

マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは高校生に向かって「世の中は残念ながら、不公平。自分の力でどうにもならないこともある」と言いました。誰かに理不尽なことをされたことで深く傷つくことがあります。しかも、誰も助けてくれない。みな見て見ぬふりそしているのか、見えていないのかわからない。どうすればいいかわからない。きっとそんな人の気持ちを代表した歌が、この詩篇なのだと思います。今も昔も変わらず、神様に助けを求める必死の叫びが聞こえてきます。きっと状況は変わらないかもしれませんが、数は少なくても、あなたをしっかり支えている人たちが必ずいるはずです。もしも、その人たちが見えなければ、少し場所を変え、角度を変えて自分のいる場所を振り返って見てみましょう。きっと見つけることができるはずです。確かに神様はあなたの叫びを聞き届けてくださり、振り返ると神様が共にいてくださるということを。

2020年10月

あなた(神)は命の道を示してくださる。                          み前にはあふれる喜び、みもとには永遠の楽しみがある。 詩編16編11節

 コロナ禍の生活もだいぶ慣れてきたとは言え、やはり、以前のような生活ができないという不自由さは、知らず知らずのうちに心の中にストレスを抱え込んでしまっているのかもしれません。日々うつむいて歩いている人々は命の道にある喜びを見逃しています。神様は私たちの日常のいたるところに「うれしいプレゼント」を置かれていますので、それを見つければ、幸せな気持ちになることができます。夜、寝る前にその日1日を振り返り、喜びの贈り物がどこにあったのか探してみてください。そして、もし一つでもうれしい出来事を見つけることができたならば、その日からあなたはきっと喜びの宝物を日々、見つけることができるでしょう。そして、そのときには神様に感謝して眠りにつくと心地よく眠れますし、ワクワクした気持ちで朝を迎えることができます。神様からいただく幸せ探しゲームは、あなたを命の喜びに導いてくれます。

2020年9月

「言葉で人を傷つけず、その友に悪を行わず、 隣人をはずかしめない」   詩編15編3節

 今年5月、プロレスラーの女性が、出演したテレビ番組での言動をSNSで誹謗中傷され、自ら命を絶ってしまいました。最近、SNSに関するトラブルが急増し、専門家が動き出しています。古くは「村八分」「非国民」などと呼ばれて差別を受けてきた人々の歴史がありますが、現代では発言者の身元を明かさず、一方的に非難することができるため、さらなる恐怖が生み出されています。なぜ、そんなに人を傷つける言葉を投げつけるのかと言えば、「自分は正しいのだから悪者を罰しなければならない」と言う歪んだ正義が主張されています。しかし、その裏側には、社会や周囲に対する不満が存在しています。誰にも、どこにもぶつけられない怒りを、「正義」と言う大義に便乗して、まったく関係のない他人に容赦なくぶつける。それは現代人の心の闇なのです。しかし、聖書に示されているまことの人間の有り方とは、そのような独りよがりな正義が満ちた社会ではありません。間違いを赦せる余裕を心に持ち、誰かの命のために発言できる知恵と勇気のある社会、人とのつながりを大切にする関係なのです。

2020年8月

イエスは四十日間そこにとどまりサタンから誘惑を受けられた。
マルコによる福音書1章13節

 先日、若手俳優の方が自死されました。将来を期待されていただけに、早すぎた死に惜しまれる声が多くあがっています。彼は多くの人から愛され、たくさんの友人や信頼できる人がいたようです。しかし、誰一人彼の命を守り切れなかったことは、残念でしかたありません。なぜ、そんなことをしたのか?その理由は誰にもわかりませんが、もしかすると、ほんの一瞬、彼の中に魔が差して「もうダメだ」と言う気持ちが、彼の心をシャットダウンしてしまったのかもしれません。

「魔が差す」という言葉は、一説にはギリシャの言葉が由来であるとされています。ギリシャの言葉には「いい」ということを意味する「agathas」と言う言葉と、「否定」を意味する「ma」と言う言葉があり、この2つを合わせると「少しの時間だけ悪いことをしてしまう」といった意味の「magathasu」という言葉になるため、この言葉が由来となっているのではないかとの説があります。イエス・キリストでさえも悪魔から誘惑を受けたのですから、私たちが悪魔の誘惑にしばしば負けてしまうのも仕方がないことかもしれません。しかし、イエス様が悪魔に勝った最大の理由は、孤独ではなかったと言うことです。確かに自分の周りには誰もいない、けれども、誰かとつながっていることが大切なのです。イエス様は最強の神様とつながっていたので強い悪魔にも勝つことができたのです。そして、そんな神様とつながることは、弱い私でもできるのです。

2020年7月

 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
 箴言1章7節

 クリスチャンスクールと言われるキリスト教主義学校には「Timor Domini Principium Scientiae」と言う言葉が掲げられています。日本語で「主を畏れることは知恵の初め」と言い、旧約聖書の詩編と箴言にある言葉です。「主」とは神様のことで、「畏れる」とは「恐怖」ではなく、「尊ぶ」ことを意味します。つまり、神様を畏れ敬うことは、人間にとって学門・知識の第一歩である、と言うことなのです。それは「神をも畏れぬ非道な行為」と昔から言われる通り、人が神となって傍若無人な行為を戒める言葉でもあります。
 「知恵」と言う言葉は、「知る」と「恵み」と言う漢字で作られています。「恵み」とは、才能、特技、能力、得意など、神様が私たちに与えてくださっている良いもののことで、私たちがすでに持っている宝物のことです。それを見つけている人もいれば、まだ発見していない人もいます。しかし、私たちの中に神様は必ず素晴らしい宝物を与えてくださっているのです。そして、それを発見するために人は知ることが必要なのです。さらに、大切な誰かのために、この世の人々のために、その宝物の正しい使用方法を学ばなければなりません。私たちは幸せになるために生まれてきましたが、誰かを幸せにできる人は、自分自身も幸せになります。そのために神様を畏れ、己を知り、他者のために学ぶことが重要なのです。聖書はいつの時代にも私たちにとって大切なことを教えてくれています。

2020年6月

事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
ヘブライ人への手紙 2章18節

キリスト教会のシンボルは十字架ですが、それはイエス・キリストがはりつけの刑に処されたことに由来しています。ローマ帝国の法律では、政治犯は十字架刑と言う最も重い処罰を受けるように定められており、イエス様は宗教的・政治的指導者たちから「嫉妬」されて反乱の首謀者として訴えられ、えん罪で処刑されてしまいました。その時、イエス様を慕っていた弟子たちは、捕まるのが怖くて逃げ去り、好意を寄せていた人たちは権力者を恐れてしまいました。孤独、屈辱、罵声、ムチ打ち、精神的・肉体的な苦痛が骨の中まで突き刺さるほどの苦しみの中に落とされたのです。神のみ子がなぜ、それほどまでに苦しむ必要があったのでしょうか?救い主(メシア)は、人が受ける痛みと苦しみを担うことが必要であったからです。イエス様は痛みを知っているからこそ、人の痛みがわかり、苦しまれたからこそ、人の苦しみを自分のものとして共に十字架を背負うことができるのです。  避けることができない困難や苦難が私たちを襲ってきても、共に苦しみを担ってくれる方があることは勇気づけられることです。だって、神様が共におられるのですから。

2020年5月

 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章13節

 新型コロナウイルス感染症の影響で多くの人が苦しんでおられます。亡くなった方々、病のうちにある方々、ウイルスと戦う医療関係者の方々、その他にも教育(子育て)や経済的にも苦しまれておられる方が多くおられます。このような状況はまさに人類に課せられたつらい試練以上とも思える苦しみです。けれども、人類は歴史上、その存在を揺るがされるような危機に幾度となく遭遇してきましたが、そのたびに乗り越え、二度と繰り返さないために進化してきました。今回も神様はそのような逃れの道を用意してくださっておられることを信じます。一日でも早く終息の日を迎えることができるようにお祈りいたします。

2020年4月

主の目は人々の上に注がれ その心を見通しておられる
詩編11篇5節

新型コロナウイルスによる感染拡大が続いており、WHOも「パンデミック(世界的大流行)」、「人類の敵」と言っています。私たちの生活の様々なところに悪影響が出ており、一日でも早く収束してほしいと願うばかりです。しかし、多くの人が苦しんでいるときに人の弱みに付け込む輩がいることは腹立たしい限りです。品切れの商品を高値で転売することも良くはありませんが、「無料マスク配布」と言って個人情報をだまし取ったり、「ウイルス除去」と偽って高額な工事費用を請求したり、厚生労働省などの役所の名前を使った詐欺が横行しています。けれども、神様はこの世の悪、人々を苦しめる者たちの悪を見過ごしにはされません。例えどんな権力者であってもその悪行は必ず、明らかにされることは、歴史を見ても明らかです。確かに悪はすぐには罰せられないかもしれません。悪人は悪を行っても捕まらず、平然と生きているように見えますが、すべてを見通しておられる神様は見逃すことはないのです。それは悪い行いだけではなく、私たちの良い行いについても神様は、誰にも評価されなくても知っていてくださるということでもあるのです。

2020年3月

悪人はおごり高ぶって主を求めない 彼はただ「神はいない」と思っている
詩編10篇4節

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。治療薬もない今の時点では、外出を控え、感染の可能性がある行動はしないことが望ましいと言われています。授業も休校となり、3月の卒業式も行えない学校もあるそうです。しかし、多くの人が不安に陥っている原因は、出口が見えないからです。毎日、感染者増加などの悪い情報しかなく、終わりがわからない現状では、ウソやデマが広がり、買い占めや便乗値上げが起こって情報化社会の弱点があらわになっています。科学万能だと信じている私たちは、このようなときに「未知なるもの」があることを思い知らされます。そのようなときには、神様に祈ることしかできません。人は無力だからこそ人は祈るのです。私たちは善人ではないかもしれないけれども、神様を信じたくないほどの悪人でもありません。だから、祈ること、祈る続けることは、私たちに残された最後の希望なのです。どんな時にも希望を持つことのできる人は幸いな人です。1日でも早くウイルスの流行が終息することをお祈りいたします。

2020年2月

神は悲しむ人をかえりみ、その嘆きを心にとめ 苦しむ人の叫びを拒まれない 詩編9篇12節

 「人生は不条理でできている」そう思ったことはありませんか?職場や学校でのいじめ、幼い子どもや高齢者への虐待は、「本人のため」と言いながら、加害者の溢れ出るストレスのはけ口として行われています。そして、その理由もまた他者から被害を受けたと訴えていることを考えると歪んだ現代社会の問題が根深く関係しているように見えます。経済大国では、どこの国でも行き場のない怒りが町には溢れ、人々は怒りをぶちまけるために、誰か失敗しないか、どこかに落ち度はないかと目を光らせています。もしも、あなたの中に怒りがあり、不条理な世の中に嘆いているのであるのなら、その思いのたけを神様に思いっきり叫んでください。「バカヤロー!」と神様にグチってもよいのです。神様はそんなあなたの思いをちゃんと受け止めてくださいます。そして、もちろん、神様は年中無休、無料です。                    

2020年1月

あなたの指の業の大空を仰ぎ あなたがちりばめた月と星を眺めて思う 人とは何者か、なぜ、これにみ心を留められるのか なぜ、人の子をかえりみられるのか 詩編8編3・4節

明けましておめでとうございます。 富士山ではなくても、六甲山から見る初日の出もまた素晴らしい景色ではないでしょうか。この世の中には「絶景」と呼ばれる場所が数多くあり、今日では、そこに行かなくてもDVDやインターネットで楽しむことができますし、VR(バーチャル・リアリティー)を使えば体験することさえ可能です。けれども、そんな絶景は誰が作ったのでしょうか?偶然できたとは思えませんし、もちろん、人工的に作り出すことは不可能です。  昔、ガリレオ・ガリレイの友人が部屋に飾られてある精密な天体模型を見て「これは君が作ったのかい?」と聞きました。ガリレオは「これは偶然、出来たと思うかい?」と言って神様が創られた宇宙について話をしたそうです。 朝日と夜空の星は、冬が一年でも最も美しく見ることができます。そして、それらを造られた方のことを思うとき、神秘的な大宇宙に、小さな自分の悩みなど取るに足りないことのように思えてきます。 今年、1年の神様のお恵みが、あなたに豊かにありますようにお祈りいたします。

2019年12月

主は、正しい人を平安をもって祝福し、恵みの盾で囲んでくださる。

旧約聖書 詩編4編12節

「キリスト教は、ご利益宗教ではありません。」とよく言われますが、その理由は、利益を与えてくれると期待して神様を拝むのではないと言うことです。つまり、「神様、どうか、私に○○を与えてください」とのお祈りがなくても、神様はちゃんとその人を見ておられますから、お祈り以上のお恵みが与えられるのです。しかし、ときに神様は自分の要求の通りに願いを叶えてくださらないことがあります。けれども、長い目で見ると違った形ではあっても、神様の導きによりすべてはうまくいっているのです。実に不思議なことです。さらに、神様のみ前に正しく、まっとうに生きている人には、平安と言う祝福と恵みと言うみ守りが与えられます。誰も見ていなくても、誰にも評価されなくても、神様はしっかりとあなたを見て、知っていてくださいます。 メリークリスマス。

2019年11月

わたしの(正)義のもとなる神よ、わたしの叫びにこたえ/ 悩みの中にも憩いを与え、わたしを顧み、祈りを聞いてください。

旧約聖書 詩編4編1節

「令和」と言う新しい時代になりましたが、新しい時代になったと言っても今、私が置かれている状況が変わるわけではありません。悪い状況であれば、年号などいくら変わっても、幸運が転がり込んでくるとは思えません。いつの時代にも、どこの場所でも、どんな人にも悩みはあり、神様に助けを力の限り叫んでいます。祈りとはそれほど切羽詰まったものでもあるのです。「困った時の神頼み」は決して悪くありません。どうにもならず、最後に神様に藁にもすがる思いで頼ることも人にはあるのです。大切なことは、祈ること。祈り続けることです。失望し、あきらめてしまうことが、一番悲しいことなのです。どれほどの苦しみの中にいても、信頼できる存在がある人は幸いです。

『神は現世におけるいろいろな心配事の償いとして、われわれに希望と睡眠を与えた。』

ヴォルテール(17世紀のフランス文学者、哲学者、歴史家)

2019年10月

主よ、わたしの敵はいかに多いこと/ わたしに逆らって立つ者はおびただしいわたしについて多くの人は言う/ 「神の助けはお前にはない」としかし、主はわたしを囲む盾 / わたしの栄え、わたしを高く上げてくださる

旧約聖書 詩編第3編1節~3節

 「四面楚歌(しめんそか)」と言う言葉があります。紀元前202年、中国の垓下(がいか)と言う場所で戦が起こります。「(そ)」軍が圧倒的な数で勝る「漢(かん)」軍によって四方を囲まれたとき、漢軍は「」の国を歌い始めました。これを聞いた「」の項羽と言う武将は、自軍がすでに降伏したことを悟ったという「故事」に由来し、「敵に囲まれて孤立し、助けがないこと」「周囲の者が反対者ばかりであること」を意味する言葉となりました。まさにこの詩編の状況ですし、私たちもそんな気持ちになることがあります。

 しかし、3000年前にこの歌を歌ったダビデ王は、自分の力だけでは何ともできないからこそ、神様に希望を見出し、祈ったのです。神様にすべてをお任せしたのです。つらいことや苦しいことを神様にお献げすることも私たちには許されているのです。

2019年9月

「神に従う者の道は神に守られ、神に逆らう者の道は滅びに至る」

詩編1編7節

 先日、あおり運転で迷惑行為を行った容疑者が逮捕されたニュースが報道されました。自分が捕まらないように自動車会社の借りた車を使っていたようですが、多くの車がドライブレコーダーで録画している時代ですから犯行がわからないはずはありません。今日、神様、お天道様でなくても、録画カメラがちゃんと見ているのですから、悪いことをしてもすぐに明らかにされてしまいます。

 悪いことをすると自分自身が滅んでしまうことは、昔から変わりません。幸いな人は、神様と言う心の安全装置があるので、自分自身を悪の道から守ることができるのです。神様が共にいてくだされば、どんな道でもすこやかに行くことができるのです。

2019年8月

「幸せな人、それは神に逆らう者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者とともに座らない人」


詩編1編1節

聖書はたくさんの書物から成り立っています。そして、その中に150編からなる詩集として「詩編」があります。作者は紀元前1000年頃に活躍したイスラエル王国の英雄ダビデ王です。しかし、ダビデ王の作品は半分ぐらいで、残りは作者不明です。むしろ、ダビデ王の名前を借りて世の人々に思いを詩に託して伝えた人々だと言えます。

 今、あなたは幸せを感じられていますか?幸福とは何でしょうか、どこにそれはあるのでしょうか。いつの時代にも人々は幸せを追い求めています。そんな私たちに詩編の一番初めに「幸いな人」とはどんな人なのか、と言うことについて歌っています。日本の憲法の13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあり、すべての国民の権利として「自由及び幸福追求」が認められています。この国では「みんな幸せになっていいんだよ」と言う権利が保障されていると言うことであり、誰一人として不幸は仕方がない、あきらめなさいと言うことではないのです。そして、そのような人間の幸福の権利を守るため、私たち一人ひとりは何ができるのでしょうか。それは大きなことでも、たくさんのことでもありません。それたった一つ、自分の身を悪から遠ざけることです。それはすなわち、正しい神様の中にいつもいる幸せのことなのです。