2020年1月

あなたの指の業の大空を仰ぎ あなたがちりばめた月と星を眺めて思う 人とは何者か、なぜ、これにみ心を留められるのか なぜ、人の子をかえりみられるのか 詩編8編3・4節

明けましておめでとうございます。 富士山ではなくても、六甲山から見る初日の出もまた素晴らしい景色ではないでしょうか。この世の中には「絶景」と呼ばれる場所が数多くあり、今日では、そこに行かなくてもDVDやインターネットで楽しむことができますし、VR(バーチャル・リアリティー)を使えば体験することさえ可能です。けれども、そんな絶景は誰が作ったのでしょうか?偶然できたとは思えませんし、もちろん、人工的に作り出すことは不可能です。  昔、ガリレオ・ガリレイの友人が部屋に飾られてある精密な天体模型を見て「これは君が作ったのかい?」と聞きました。ガリレオは「これは偶然、出来たと思うかい?」と言って神様が創られた宇宙について話をしたそうです。 朝日と夜空の星は、冬が一年でも最も美しく見ることができます。そして、それらを造られた方のことを思うとき、神秘的な大宇宙に、小さな自分の悩みなど取るに足りないことのように思えてきます。 今年、1年の神様のお恵みが、あなたに豊かにありますようにお祈りいたします。

2019年12月

主は、正しい人を平安をもって祝福し、恵みの盾で囲んでくださる。

旧約聖書 詩編4編12節

「キリスト教は、ご利益宗教ではありません。」とよく言われますが、その理由は、利益を与えてくれると期待して神様を拝むのではないと言うことです。つまり、「神様、どうか、私に○○を与えてください」とのお祈りがなくても、神様はちゃんとその人を見ておられますから、お祈り以上のお恵みが与えられるのです。しかし、ときに神様は自分の要求の通りに願いを叶えてくださらないことがあります。けれども、長い目で見ると違った形ではあっても、神様の導きによりすべてはうまくいっているのです。実に不思議なことです。さらに、神様のみ前に正しく、まっとうに生きている人には、平安と言う祝福と恵みと言うみ守りが与えられます。誰も見ていなくても、誰にも評価されなくても、神様はしっかりとあなたを見て、知っていてくださいます。 メリークリスマス。

2019年11月

わたしの(正)義のもとなる神よ、わたしの叫びにこたえ/ 悩みの中にも憩いを与え、わたしを顧み、祈りを聞いてください。

旧約聖書 詩編4編1節

「令和」と言う新しい時代になりましたが、新しい時代になったと言っても今、私が置かれている状況が変わるわけではありません。悪い状況であれば、年号などいくら変わっても、幸運が転がり込んでくるとは思えません。いつの時代にも、どこの場所でも、どんな人にも悩みはあり、神様に助けを力の限り叫んでいます。祈りとはそれほど切羽詰まったものでもあるのです。「困った時の神頼み」は決して悪くありません。どうにもならず、最後に神様に藁にもすがる思いで頼ることも人にはあるのです。大切なことは、祈ること。祈り続けることです。失望し、あきらめてしまうことが、一番悲しいことなのです。どれほどの苦しみの中にいても、信頼できる存在がある人は幸いです。

『神は現世におけるいろいろな心配事の償いとして、われわれに希望と睡眠を与えた。』

ヴォルテール(17世紀のフランス文学者、哲学者、歴史家)

2019年10月

主よ、わたしの敵はいかに多いこと/ わたしに逆らって立つ者はおびただしいわたしについて多くの人は言う/ 「神の助けはお前にはない」としかし、主はわたしを囲む盾 / わたしの栄え、わたしを高く上げてくださる

旧約聖書 詩編第3編1節~3節

 「四面楚歌(しめんそか)」と言う言葉があります。紀元前202年、中国の垓下(がいか)と言う場所で戦が起こります。「(そ)」軍が圧倒的な数で勝る「漢(かん)」軍によって四方を囲まれたとき、漢軍は「」の国を歌い始めました。これを聞いた「」の項羽と言う武将は、自軍がすでに降伏したことを悟ったという「故事」に由来し、「敵に囲まれて孤立し、助けがないこと」「周囲の者が反対者ばかりであること」を意味する言葉となりました。まさにこの詩編の状況ですし、私たちもそんな気持ちになることがあります。

 しかし、3000年前にこの歌を歌ったダビデ王は、自分の力だけでは何ともできないからこそ、神様に希望を見出し、祈ったのです。神様にすべてをお任せしたのです。つらいことや苦しいことを神様にお献げすることも私たちには許されているのです。

2019年9月

「神に従う者の道は神に守られ、神に逆らう者の道は滅びに至る」

詩編1編7節

 先日、あおり運転で迷惑行為を行った容疑者が逮捕されたニュースが報道されました。自分が捕まらないように自動車会社の借りた車を使っていたようですが、多くの車がドライブレコーダーで録画している時代ですから犯行がわからないはずはありません。今日、神様、お天道様でなくても、録画カメラがちゃんと見ているのですから、悪いことをしてもすぐに明らかにされてしまいます。

 悪いことをすると自分自身が滅んでしまうことは、昔から変わりません。幸いな人は、神様と言う心の安全装置があるので、自分自身を悪の道から守ることができるのです。神様が共にいてくだされば、どんな道でもすこやかに行くことができるのです。

2019年8月

「幸せな人、それは神に逆らう者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者とともに座らない人」

詩編1編1節

聖書はたくさんの書物から成り立っています。そして、その中に150編からなる詩集として「詩編」があります。作者は紀元前1000年頃に活躍したイスラエル王国の英雄ダビデ王です。しかし、ダビデ王の作品は半分ぐらいで、残りは作者不明です。むしろ、ダビデ王の名前を借りて世の人々に思いを詩に託して伝えた人々だと言えます。

 今、あなたは幸せを感じられていますか?幸福とは何でしょうか、どこにそれはあるのでしょうか。いつの時代にも人々は幸せを追い求めています。そんな私たちに詩編の一番初めに「幸いな人」とはどんな人なのか、と言うことについて歌っています。日本の憲法の13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあり、すべての国民の権利として「自由及び幸福追求」が認められています。この国では「みんな幸せになっていいんだよ」と言う権利が保障されていると言うことであり、誰一人として不幸は仕方がない、あきらめなさいと言うことではないのです。そして、そのような人間の幸福の権利を守るため、私たち一人ひとりは何ができるのでしょうか。それは大きなことでも、たくさんのことでもありません。それたった一つ、自分の身を悪から遠ざけることです。それはすなわち、正しい神様の中にいつもいる幸せのことなのです。