2019年10月

主よ、わたしの敵はいかに多いこと/ わたしに逆らって立つ者はおびただしいわたしについて多くの人は言う/ 「神の助けはお前にはない」としかし、主はわたしを囲む盾 / わたしの栄え、わたしを高く上げてくださる

                       旧約聖書 詩編第3編1節~3節

 「四面楚歌(しめんそか)」と言う言葉があります。紀元前202年、中国の垓下(がいか)と言う場所で戦が起こります。「(そ)」軍が圧倒的な数で勝る「漢(かん)」軍によって四方を囲まれたとき、漢軍は「」の国を歌い始めました。これを聞いた「」の項羽と言う武将は、自軍がすでに降伏したことを悟ったという「故事」に由来し、「敵に囲まれて孤立し、助けがないこと」「周囲の者が反対者ばかりであること」を意味する言葉となりました。まさにこの詩編の状況ですし、私たちもそんな気持ちになることがあります。

 しかし、3000年前にこの歌を歌ったダビデ王は、自分の力だけでは何ともできないからこそ、神様に希望を見出し、祈ったのです。神様にすべてをお任せしたのです。つらいことや苦しいことを神様にお献げすることも私たちには許されているのです。

2019年9月

「神に従う者の道は神に守られ、神に逆らう者の道は滅びに至る」詩編1編7節

 先日、あおり運転で迷惑行為を行った容疑者が逮捕されたニュースが報道されました。自分が捕まらないように自動車会社の借りた車を使っていたようですが、多くの車がドライブレコーダーで録画している時代ですから犯行がわからないはずはありません。今日、神様、お天道様でなくても、録画カメラがちゃんと見ているのですから、悪いことをしてもすぐに明らかにされてしまいます。

 悪いことをすると自分自身が滅んでしまうことは、昔から変わりません。幸いな人は、神様と言う心の安全装置があるので、自分自身を悪の道から守ることができるのです。神様が共にいてくだされば、どんな道でもすこやかに行くことができるのです。

2019年8月

「幸せな人、それは神に逆らう者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者とともに座らない人」詩編1編1節

聖書はたくさんの書物から成り立っています。そして、その中に150編からなる詩集として「詩編」があります。作者は紀元前1000年頃に活躍したイスラエル王国の英雄ダビデ王です。しかし、ダビデ王の作品は半分ぐらいで、残りは作者不明です。むしろ、ダビデ王の名前を借りて世の人々に思いを詩に託して伝えた人々だと言えます。

 今、あなたは幸せを感じられていますか?幸福とは何でしょうか、どこにそれはあるのでしょうか。いつの時代にも人々は幸せを追い求めています。そんな私たちに詩編の一番初めに「幸いな人」とはどんな人なのか、と言うことについて歌っています。日本の憲法の13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあり、すべての国民の権利として「自由及び幸福追求」が認められています。この国では「みんな幸せになっていいんだよ」と言う権利が保障されていると言うことであり、誰一人として不幸は仕方がない、あきらめなさいと言うことではないのです。そして、そのような人間の幸福の権利を守るため、私たち一人ひとりは何ができるのでしょうか。それは大きなことでも、たくさんのことでもありません。それたった一つ、自分の身を悪から遠ざけることです。それはすなわち、正しい神様の中にいつもいる幸せのことなのです。