神戸大空襲犠牲者追悼の祈りと平和の為に語り継ぐ会

2015年3月29日

3月15日(日)主日礼拝において、今年70年目を迎える、

1945年3月17日の神戸大空襲などによる戦争犠牲者追悼の祈りを捧げました。

礼拝後、今年も戦時中の代用食「すいとん」で昼食を共にして始めました。

但し、当時ものとは比べようもない、婦人会手作りの美味しい「すいとん」です。

 

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最初に5歳の時、下三条町で3月17日の大空襲に遭ったH姉に語って頂きました。

火に囲まれて母親と一緒にしゃがみ込んでしまった時、

見ず知らずの男の人が「ここにいたら死んでしまう」と連れ出してくれて九死に一生を得たこと。

また戦後、闇市で買って貰ったズルチンという甘味料入りの芋餡饅頭が

とても美味しかったことなど話して頂きました。

 

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U兄からは、上兄の出征の時、近所の人たちが壮行してくれたが、兄は余り嬉しそうでなく、

それが兄を見た最後になったこと。

3月17日の空襲では、次兄が行方不明になり、遺体も遺品もないままであり、

とてもやりきれない辛い記憶であることをお話しくださいました。

 

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T姉からは雲中小学校近くに住んでいて6月5日の大空襲に遭い、

自分たちは山裾の防空壕に逃げて助かったが、

自宅の防空壕に逃げていた近所の一家は全員犠牲になったこと。

戦後、物々交換で食料を手に入れていたが、

着物の下にお米を小分けにして入れる袋を体に巻きつけて

田舎から帰ってきたことなどお話し頂きました。

 

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近隣のHさんからは、ご自分の軍歴票などをお持ち頂き、

予科練に志願して飛行隊に入隊し、横須賀海軍基地で通信兵として任務に就いていたこと。

先輩達の寄せ書きを見せて下さり、その方々は特攻で戦死したことなどをお話しくださいました。

 

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そして最後に最長老のE兄からは神戸大空襲の時には軍隊に居て、

自分の家族が空襲で2度を焼け出され、終戦まで教会でお世話になったこと、

また3月17日の空襲では西隣まで焼けたが、神戸昇天教会は、

当時の袴田司祭の必死の消火活動が効を奏したのか、

奇跡的に焼け残ったことなどお話し下さいました。を話されました。

 

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今後ともこうした機会を持ちながら、戦争の記憶と平和の大切さを語り継いでいきたいと思います。